CBI Forecast ― 2011年7月21日:PDF

CBI学会 第319回 研究講演会「薬効と毒性研究の新しい潮流」背景資料

1.はじめに
今回CBI Forecastの報告文は、私が世話人を務める、8月26日(金)に予定されている「薬効と毒性研究の新しい潮流」をテーマとする。これは、CBI学会の第319回の研究講演会の背景資料でもある。

 すでにCBI学会の研究集会の頁(http://cbi-society.org/home/meeting_seminar.html)に案内されているように、この集会後の9月30日には、水間俊氏(東京薬科大学)、粕谷敦氏(第一三共株式会社)を世話人とする、「e-ADMET構築に向けて3: ADMET市販ソフトはどこまで有効か」があり、さらに12月5日には、杉山雄一氏(東京大学大学院薬学研究科)らを世話人とする、「薬物間相互作用の予測;欧米のDDIガイダンスと将来展望」が予定されている。このように一見、同じような領域の話題が3つ、ほとんど続いてしまうことになった。水間先生の企画も、杉山先生の企画も、CBI学会の定番の研究講演会として、非常に人気の高い会であり、毎回、出席者が多い。こうした意味では、私の企画が、適切であったか自問しているところであるが、私がこの企画を依頼されていた3月頃には、その前後の企画が分かっていなかったので、関連のありそうなテーマとなってしまったことについては、お許しいただきたいと思う。そこで、まず、これら両先生の企画と私の企画の違いについて、説明させていただくことにする。

2.開催趣旨

上記の案内頁にあるが、8月26日の会の開催趣旨は、以下のようなものである。

「ゲノム解読とそれに随伴するオミックスや経路網同定などの技術の猛烈な進歩によって、生物医学は文字通り、日進月歩のペースで進歩し続けているが、期待に反して市場に出る画期的な新薬の数は、伸び悩んでおり、その状況が短期的に好転する気配は感じられない。ここにおいて医薬品開発においてもInnovationの議論がなされているが、それらは相変わらず、基礎研究者が取り組みやすいEarly Stageに集中している。この講演会は、この状況下で必要なのは、(1)前競争的なLater Stage研究推進の企業横断的な仕組みづくり、(2)Regulatory Scienceの革新、(3)こうした研究開発分野のStatus Upと研究人材の養成、というInnovationではないか、という世話人の作業仮説に基づいて企画された。そのために、この会では、副作用(安全性)の理解の基本となる薬物代謝酵素系を含む、Sensor-Processor Feedback系に関わる話題や、Drug Designerを悩ますQT延長毒性の問題、StevensーJohnson's 症候群のような予期せぬ重篤な副作用などの具体的な問題から、in Silico、iPS細胞、線虫など実験方法や材料の選択、薬効と毒性の表裏の関係Hormesisの分子的基礎など、最新の話題を提供していただくことによって、上記のInnovationについて具体的に考えるヒントを提供できたら幸いと考えている。また、分野を異にする専門家の集まりであるので、講師には、できるだけやさしく解説していただくことをお願いしているので、幅広い研究者が参加してくださることを期待している。」

 この企画を考えた動機は、前回のCBI Forecastで紹介しておいた、私がなぜ新しく立ち上げつつあるサイバー絆研究所(Institute for Cyber Associates, ICA)の活動を、CBI学会のそれとは、相補的(相補う関係にある)だと考えているか、ということに関係している(CBI Forecast No.1 参照)。そこにあるように、そもそもCBI学会(の前身のCBI研究会)の設立は、1970年代の後半に、私が化学物質の安全性(毒性)問題に関する科学技術庁の委託研究を任されたことが契機となっている(http://join-ica.org/ica/partners/for-cbi.html)。ところが、会が実際に発展して行くにつれ、その主題は、「薬づくり」に傾き、化学物質の毒性問題は、ほとんど取り上げられることなく、今日に至った。杉山先生や水間先生の視点も、薬づくりからみた薬の動態や安全性の予測や、適切な使用が主題になっている。

 ところが、私が最初に出会ったのは、薬や食物のように意図的に摂取するものではない、工業製品、家庭用品、環境汚染物質など、幅広いいわゆる化学物質Chemicalsの安全性である(今日では原発事故で排出された放射性物質とその2次物質に大きな関心が寄せられ
ている)。その後予期しなかったことだが、私自身が、そうした化学物質の安全性に関わる国の試験研究機関(現国立医薬品食品衛生研究所)の一部門の責任者となった。この部門は、多様な化学物質の安全性を、WHOなど国連機関の傘の下に、各国の専門家が協力して評価する報告書を作成する仕事に対応していた。このことから、私も、化学物質の安全性を評価したり、安全な基準を設定したりする国際的な作業班の研究者側の窓口業務に関わるようになった。と言っても、こうした仕事は、専門ではなかったから、ほとんどの仕事は、部の専門の研究者に任せたマネジャーとしての仕事しかしていなかった。それでも、専門家の国際会議などによく出席しているうちに、この問題の科学的な側面と我が国としての問題点も見えてきた。

 それを一言で表現すれば、「情報計算技法の専門家が必要なのに養成されていない」、ということである。薬と異なり、化学物質安全性問題では、対象となる化合物の数が多い。当然、全部を(げっ歯類を用いた)動物試験で評価するには、お金も、時間も掛かり過ぎるから、計算機による(理論的な)予測が不可避である。これは、CBI学会の設立趣意書に述べたことである。米国はその方向に動いて、それを規制に取り入れようとしていた。ところが、日本にはそうした国際的な協議の場に送り出せる専門家がいないのだ。こうした経験もあって、また、CBI学会の設立当初の夢もあって、私は「計算毒性学Computational Toxicology」の専門家を養成すべきだと考えるようになった。

 このことは、当時の厚生省の専門官にも進言したし、CBI学会でも提言したが、結局この訴えには力がなかった。さらに、私が定年で去ったその部は、数年で「情報計算技法の強み」を失ってしまった。その前の東京都臨床医学総合件研究所においてもそうであったように、生物医学系の研究機関における私たちのような人間は、特異点のような存在であり、私が動くと特異点も消失してしまうのだ。しかし、計算毒性学の専門家を養成しなければならないし、そうした専門家は、医薬品開発においても、必要な人材ではないかという、私の考えはその後も変わっていない。

しかし、私自身は、そうした言わば作業仮説を裏付けるような行動をとることができないことに忸怩たる思いがあった。ところが、最近米国で、毒性研究を衣替えしようという動きが出てきていることに気がついた。とくに、そうした21世紀の毒性研究の柱の一つとして、計算毒性学が位置づけられていることに、わが意を得たりという感を抱くようになった。そこで今回の講演会では、毒性分野における我が国の研究者の興味深い仕事を紹介しながら、米国や欧州における新しい動きへの注意を喚起し、計算化学やバイオインフォマティクスのような「情報計算技法」が、新しい毒性研究の視点から、どのように期待されるかを紹介し、意見交換の機会を提供できないかと考えた。

3.簡単な予備知識Tutorial

CBI学会の研究講演会の講演は多岐にわたっているので、多少専門が異なると理解することが困難なことある。しかし、これでは若手研究者が参加し難くなってしまうので、多少の予備知識をもってもらったらよいとこれまで考えていたが、時間がなくて、いつもそうできなかった。そこで多少時間的な余裕をいただいている今回は、この領域でよく使われる言葉を簡単に解説させていただくことにした。もちろん専門家の方々は、この節を飛ばしていただきたい。

ADME/Tox
医薬品は、体の中に吸収され(Absorption)、さまざまな組織や部位に運ばれ(Distribution)、肝臓などで代謝され(Metabolism)、体外に排出される(Excretion)。これらの過程をまとめてADME(アドメ)と呼ぶ。一般に、毒性Toxicity(トキシシティ)は、望ましくない生体への危害となる化学物質の作用であるが、薬が発揮する毒作用をとくに、副作用と呼ぶ。この2つの作用をまとめて、ADME/Tox(アドメ・トックス)と呼ぶ。ADMEは、薬をどのようなタイミングで、どのくらい投与したらよいかを決める根拠となる情報や知識である。また薬の副作用は、少ないに越したことはないが、完全に抑えることはできないこともある。ADME/Toxは、薬を安全かつ適切に使うための付帯条件であり、医薬品企業では、安全性問題と呼んでいる。 

毒と薬
毒を薄めて薬とする知恵は、多くの民族で伝承されてきた。その意味では、ものとしての毒と薬を区分することは、難しく、用量を考慮しなければならない。低用量では薬であるが、高用量では毒になるとい、化合物作用の双極的な用量依存性をホルメシスHormesisと呼ぶ。1990年代の中頃から世界的な話題になった内分泌かく乱(化学)物質Endocrine Disruptorsの研究で、そうしたU字型の用量反応Dose-Response曲線が報告されたことがあったが、それは間もなく、取り下げられた。しかし、今日では、毒性学にはHormesis説が受け入れられつつある。

環境化学物質と薬の安全性の問題
化学物質、とくに低分子化合物の生体作用という視点から言えば、薬の作用も、毒の作用も「化合物に対する生体の応答」であり、本来、同じ概念で捉えられる筈である。しかし、これまでは環境中の汚染物質や食品中の危害成分の毒性の研究と、医薬品開発における安全性の研究とは、かなり乖離していたようだ。また、生体に望ましい作用をもつ分子(薬)を探索、発見、創造するのと、生体に望ましくない作用をもたらず化合物を同定する毒性研究とは、科学の視点から見れば、表裏の関係にあるにも関わらず、実際の研究の方法論は、部外者には、かなり隔たっているように感じられる。
その理由の一つは、薬は、目的とする疾患を決めて、その治療に役立つ化合物を探索するのに対し、毒性学は、すでに人間が利用しているか、環境中に存在している膨大な数の化合物の危害を評価、判定することが期待されているからである。
同じスクリーニング技法でも、薬のための試験における物質の濃度の幅は、環境物質のためのそれより、ずっと狭い(薬の場合は、2-10μM、毒性では およそ5nM~100μM、(Mは      モルmolar、nはナノ、すなわち、ミクロンμの千分の一))。

化学物質と薬の安全性情報
我田引水のようだが、国立衛研では、化学物質や薬の安全性に関する信頼のおける情報提供への努力が続けられていたが、たまたま、私がいた間に、インターネット開放の大波が押し寄せてきたことで、CBI学会と同時併行的に、私の部が所内のネットワークの整備と広域ネットワークへの接続、WWWによる情報発信などを先導した。化学物質の安全性も薬の安全性も、いまや国内だけでなく、国際的な枠組みの中で流通されているが、その流れに対応しているので、これらの問題に関心のある方は、同所のサイトを見ていただきたい(http://www.nihs.go.jp/index-j.html)。そこには、我が国で承認された薬の名称(日本医薬品一般名称、Japanese Accepted Names for Pharmaceuticals (JAN))データベースもある(http://jpdb.nihs.go.jp/jp/)。

新しい潮流
いずれにしても、化学物質の毒性評価試験法は、この30年あるいは40年間に、あまり変化がなかった。基本的な試験法は、動物(げっ歯類)に、試験対象となる化合物を極めて高濃度で暴露して、その特徴的な変化を捉え、それをヒトに対するより低濃度暴露に外挿する、というのが主流Gold Standardであった。現在、そうした伝統が大きく変化する兆しが見えている。この変化を先導しているのが、ゲノム解読とそれに随伴する技術であり、また細胞工学的な技法であり、さらにICT(計算機とネットワーク)を基礎にした情報計算技法である。
我々が関心をもっている最後の技法が台頭したのは、1970年代であるが、ヒトゲノム解読計画の進展は1990年代の中頃であり、それが顕著になってきたのはゲノム解読の完了が宣言された2003年頃のことである。細胞工学技術も、1970年以後非常に進歩してきたが、iPS細胞が登場した最近は、進歩は加速されている感がある。

4.ADMEと毒性に対する米国と欧州の新しい取り組み

US Tox21:新しい毒性研究戦略
繰り返しになるが、我々の身の回りにある多様な物質(化合物)は、我々の健康に影響を及ぼす。人類の生活が高度、複雑になるにしたがい、そうした化合物の数は、うなぎのぼりに増大してきており、それらの安全性を評価することが、先進各国の社会的な課題となってきた(使われるか否かを問わないなら、現在では数秒単位で、新しい化合物が生まれているようだ)。増大する化学物質の安全性問題への取り組みは、それぞれの国だけでなく、国連その他の国際的な協力の枠組みの中で、展開されている(Rune Lönngren, International Approaches to Chemicals Control, A Historical Review, KEMI, 1992、松崎早苗氏による邦訳ある) 。中でも、質量ともに圧倒的な研究機関と研究人員を擁する米国の取り組みからは、他の国にとっても参考となる情報知識が大量に産生されており、日本にとっても規制を考える上での重要な、情報知識源になっている。

 その米国では、ヒトゲノム解読計画の完了が宣言された、2003年頃から、化学物質の安全な管理に関わっている政府機関や研究所が、毒性試験法や毒性評価研究への新しい取り組みを模索し始めた。そうした動きの中核に位置するのは、NIHとその傘下にあるChemical Genomics Center (NCGC) とNational Institute of Environmental Health Sciences(NIEHS)という2つの研究機関と環境庁EPAとその傘下にあるNational Center for Computational Toxicologyである。
これらの機関は、米国研究協議会National Research Council(NCR)によって、新しい取り組みへの構想をまとめ、これを科学アカデミー National Academy of Sciencesから” Toxicity Testing in the 21st Century: A Vision and A Strategy”として出版した(文末の参考文献、National Research Council 07)。

 この報告書は、構想を掲げたものであるから、それをめぐって関係者たちは、さまざまな専門雑誌などに、さらなる考察を発表し、議論を深めている(例えばCollins08, Anderson09, Krewski09, Kavlock09)。また、そうした構想を具体的に展開する実験的な試みも盛んになっている(Shukla10)。

US Tox21変革の要点
これらの論文を読んでみると、化学物質の安全性への米国の戦略的な取り組みの要点は、以下のようなものではないかと推察された。すなわち、化学物質の安全性の評価は、これまで専ら動物、それもげっ歯類を用いた高濃度の暴露実験を中核としてきた。その典型例が、NIEHSが実施しているNational Toxicology Program(NTP)である。だが、こうした動物実験中心主義を革新できるような技術も登場してきた。とくに、期待できるのは、in vivo試験や計算機による予測法である。さらに動物実験では、毒性をもたらす作用機序の解明に踏み込むべきだという、議論が受け入れられている。とくに期待されているのは、毒性が発揮される経路網Toxicity Pathwayを同定、解析することである。

 さらに新しい動きで注目されるのは、こうした個々の試験技法だけでなく、それらを関係付け統合する必要性が認識されてきたことだ。米国では、毒性評価を目的としたこの新しい行動計画を“US Tox21”と読んでおり、それは、NIH(National Institutes of Health)傘下の2つの研究機関、すなわちとNational Institutes of Environmental Health Sciences(NIEHS)と NIH Chemical Genomics Center (NCGC) と、EPA(Environmental Protection Agency)の研究機関National Center for Computational Toxicologyが、中核研究機関になっている。NIEHSは、国家毒性プログラムNTP(National Toxicology Program)の中核研究機関であり、NTPは、動物実験を用いた毒性試験としては、これまで最も中核的な計画だった。また、NIH Chemical Genomics Centerは、さまざまな低分子化合物による生体への影響、とくに経路網への影響(Perturbation)を迅速にしらべるセンターとして、ゲノム解読後の米国の創薬研究の新戦略の担い手として注目された存在であり、我が国でも同様な試験研究センター設立の刺激となった機関である(これについては、2007年3月16日の、第272回 CBI研究講演会における、「Chemical Genomicsの動向」 九川文彦 (日本大学薬学部)でも紹介された)。

このセンターを毒性研究にも活用しようというのが、US Tox21の特徴の一つである。毒性試験におけるHTS(High Throughput Screening)については、すでに活発に研究されているが(Inglese06、Inglese07, Xia08)、とくにNCDCのUS Tox21計画での役割は、Shuklaの文献に(Shukla10)詳しい。こうした試験法としては、Cell lineを用いた、 Cell apoptosis, Membrane integrity, Mitochondrial toxicity, DNA damage, Cytokine, Nuclear Receptor, Toxicity Pathway, hERG1channelなどの試験が可能とされている。

 CBI学会の視点でとくに注目したいのは、計算毒性学Computational Toxicologyの役割である。US Tox21においては、そうした研究の担い手はEPAになっている。EPAが計算毒性学を取り入れようと動いたのは、1990年代の中頃、つまり内分泌かく乱(化学)物質 Endocrine Disruptors問題が突如浮上し、社会的な関心を集めた頃である。これは環境汚染物質問題として登場したから、その対策の主体も米国ではEPAであった。この時も、米国は非常に戦略的な対応策を発表し、その中では情報計算技法を活用することが強調されていた。残念ながら、我が国ではウエット研究がほとんどで、情報や計算技法を駆使した研究戦略、研究のManagementの重要性は、ほとんど無視された。今回の提言を見ると、米国の動きには、Endocrine Disruptors対策とのつながりが明らかにうかがえる。

Critical-Path:FDAの新しい動き
医薬品の安全性は、広義には「化学物質の安全性」の一部になるが、いわゆる「化学物質の毒性」問題とは異なる趣のある学問分野になっている。皮相な言い方をすれば、この2つの学問領域が異なるのは、両方が科学の審判を最終目標とはせず、行政の審判(Regulatory Judgment)を最終目標にしているからである。いずれも「使っても安全」という規制当局(Regulatory Agency)のお墨付き取得しなければならない。ただし、「何をもって安全とするか」は、規制当局の見解
次第で異なってくる。こうしたことは、純粋の自然科学の研究者には、理解し難いことだが、それぞれ規制当局を交渉しなければならない(企業の)担当者たちにとっては、まさに死活問題である。
化学物質の場合は、用途によって規制を担当する省庁が、複雑に異なっている。我が国の場合、少なくとも厚生労働省、環境庁、経済産業省が関わる(厚生労働省も、昔は、生命への安全性という立場で厚生省が、職場(労働現場)での安全という意味で労働省が所管していたが、そうした区分は、合併しても残っているようだ)。薬品の場合、規制の担い手は我が国では厚生(労働)省、米国ではFDAである。
新薬が生まれにくい原因として、動物実験や小規模臨床試験で効果を発揮した薬が、後の段階で安全性に問題あり(毒性がある)として、開発が断念された例は、よくある。それも時間や経費が掛かった大規模な臨床試験段階で明らかになるほど、開発している製薬企業への影響は大きい。こうした事態は、そのような薬の登場を待ち望んでいる患者にとっても大きな痛手である。

 ヒトゲノム解読計画の完了に伴って大いに語られた、「画期的な新薬がどんどん開発される」という期待が、急速に萎んでしまった大きな原因も、研究開発の後の段階での試験のデザインの難しさと、経費の大きさにある。こうした事態を改善すべくFDAが打ち出したのが、Critical Path Initiativeという行動計画である。その嚆矢となったのは、Innovation/Stagnation: Challenge and Opportunity on the Critical Pathという報告書(FDA04)である。この計画については、その後FDAから報告書がいくつかでている。この計画は、臨床試験方法の改革、FDAが介在した共同研究、紙から電子媒体重視への転換、人材養成など多岐にわたった包括的なものである。その中にはBiomarker探索や、計算機のよる毒性予測なども含まれている。一般的な課題としては、

1. Biomarker Development
2. Streaming clinical traials
3. Bioinformatics
4. Manufacturing
5. Antibiotics and countermeasures to combat infection and bioterrorism
6. Development of therapies for children and adolescents

に区分される(Woosley07).

 この計画で特筆すべきは、FDAの仲介によって、アカデミアと営利企業との共同事業Consortiumがいくつも立ち上げられていることである。例えばBiomarker探索であれば、多くの医学系の学会と大学と多くの製薬企業や関連企業が参加したConsortiumが結成されている(Walter08)。その成否は別にして、こうした取り組み方には、学ぶべきものがあるように思える。

 FDAにおいても、”e-Tox”や”e-Knowledge Base”や“e-ADME”、つまりはComputational Toxicologyが重要だと主張しているEdwin J. Matthews氏のような研究者がいる。彼は、Multicase社のQSARプログラムを改良した、MACASE:QSAR-ESというソフトウエアを開発している(ESはexpert system)。FDAの計算毒性学グループの活動については(US Food and Drug Administration, Center for Drug Evaluation and Research, Office of Pharmaceutical Science, Informatics and Computational Safety Analysis Staff (ICSAS))、については、いくつかのReviewがある(Ursem09, Matthews09a, Matthews09b, Valerio09)。

製薬企業における毒性試験
それでは、US Tox21計画の動きは、FDAのCritical Pathや、製薬企業の毒性試験にどのような影響を与えるのであろうか。つまり、化学物質の安全性評価への新しい取り組みは、製薬企業の安全性試験にどのような影響を与えるのだろうか。製薬企業の立場からこのことを論じているのが例えば、MacDonaldらであるが(MacDonald09)毒性試験の国の新戦略が医薬品の開発によいインパクトを与えるか、ということについては、かなり慎重である。

例えば、DREKとかMCASEのような化合物の構造に基づいた毒性予測システムは、薬の研究開発の初期段階で、ルーティンに使われているが、これらのソフトは、DNA損傷をもたらす(遺伝毒性)構造的な特徴をしらべるには有用だが、有害性の評価hazard identificationには、鋭敏過ぎるきらいがあり、もし、こうした予測を受け入れるなら、薬のデザイナーは、例えば、heterocyclic amin構造を、最初から排除しなければならないことになりかねない、と指摘している。もちろん、今日のこうしたシステムは、学習機能を備えており、使い込んでいくにしたがい精度が上がってくることが期待できるが、現時点では、まだ十分成熟してはいない。

MacDonaldらが主張することは、我々の知識はまだ、予測には不十分であり、その状態を解消するためには、従来の生理学や組織病理学的な方法に、撮像法imaging、臓器ごとの転写や代謝のプロファイルなどを加えた毒性の詳しい研究が必要だということである。とくに注意すべきは、新行動計画が提唱している毒性経路toxic pathwayは、実は、細胞の

基本的な制御経路essential cellular regulatory pathwayと重なり合っていることである。毒性と正常な状態を維持するための仕組みとは、実は乖離したものではない、というのが、最近の見解であり、その意味では、実験動物を高濃度に晒した代替試験法(米国のInteragency Coordination Committee on the Validation of Alternative Methods)や欧州センターのthe Validation of Alternative Methods)は、実験に使われている主にげっ歯類のある特別な条件下での反応apical responseに関わる細胞信号経路の乱れに関する情報を与えはするが、ヒトへの危害を予測するために役立つとは言えない。つまりは、大雑把過ぎる知見である。MacDonaldらによれば、多くの企業が競って導入したマイクロアレイによる膨大な数の遺伝子の発現試験法も、すでに予測には使われなくなっており、実験結果をより詳細に解析する参考データとして使われるようになっているという。

結局、これから必要になるのは、従来の手法を新しい手法を組み合わせて、対象にたいしてより焦点を合わせた、毒性の仕組みのより深い解析を行うことであると、MacDonaldらの結論である。こうした主張は、控えめだが、US Tox21の提唱は、毒性研究に新しい可能性を開くが、それだけで問題が解決するわけではない、と言っているように受け取れる。

欧州の動き
欧州には、人口が少ないわりに、国際機関を動かすことを熟知している国や専門家が多い。化学物質の安全な管理に関しては、とくにスゥエーデンが1970年代から積極的に、国際機関(WHOなどの国連機関)をリードしていた(最初に挙げた参考文献の著者、Rune Lönngrenもスゥエーデンの化学物質の専門家である)。最近は、EUの傘の下で、かなりの額の費用をつぎ込んだ研究が行われているが、その中で、やはり計算毒性学への強い関心が示されている(Serafimova10、Mostrag-Szlichtyng10)。

欧州の動きの特徴は、規制との関係が強く意識されていることであり、例えば、EUの新しい化学物質登録制度であるREACH(Registration, Evaluation, Authorization and Restriction of Chemicals)においては、QSARs(Quantitative Structure-Activity Relationships)を使うことが許容されている。そうしたこともあってか、ここで言う計算毒性学とは、日本でもよく知られている構造活性相関解析QSARsだけでなく、専門家の経験則を入れた判断システム(Expet System, 例、Toxtree)も考慮していることである。また、同じような性質をもった化合物をグルーピングすることや、リスク評価Risk Assessmentを行うためのランク付けranking、QSARsを使う場合の科学的な根拠の提示、化合物の反応性や代謝特性の推測、水の汚染への配慮など、規制と関係したさまざまな局面に、計量的な方法や経験則を生かした方法を活用しようという姿勢が読み取れる。

 こうした考えは、「計算機で何でも予測できる」という立場でも、「計算機は役立たない:」という立場でもなく、計算機の可能性をできるだけ活用しようという、視野の広い発想からでているように思われる。

 

5.我が国における計算毒性学への取り組み
欧米の事例を少し紹介したが、私がそれらの実態をよく知っているというわけではない。確かに、2000年までは、この分野に関係する国の研究機関にいたこともあって、ある程度事情に通じていたが、その後のことは、文献に頼っている。したがってあまり確かなことは言えないが、やはり欧米に較べて水をあけられてしまったというのが、率直な印象である。

彼我のもっとも大きな違いは、計算毒性学の可能性をRegulatoryな立場から捉えて、それを生かす「仕組みをつくろうとしている」か、「単なる研究技法と見なして、役立つ、役立たないを論じているのか」、にある。

 計算毒性学の現状は、いまだ発展の途上にあるということは、研究者の間では常識だと言ってよいであろう。この時点でいくらお金を投じても、また、スーパーコンピュータを使えるようにしても、予測精度がただちに劇的向上すると考えている専門家はいないだろう。

 しかし、計算毒性学を広く捉え、毒性試験や化学物質の安全な管理や医薬品の開発や医薬品の適正や使用という視点から考えてみれば、「現状を改良できる可能性」は沢山あるのではないか?それを実行するために必要なことは、まず、Regulatoryな立場にいる人たちに、このことを認識してもらうことだろう。

 次に重要なのは、研究者の世界における評価の風土を変革することである。現在の科学の風潮は、言ってみれば、車を加速することに貢献した仕事だけを評価し、プレーキや衝突防止の安全策に関する研究を低く見ている。プロジェクト研究で、派手にBreak Throughしたように映る研究には金を投ずるが、地道な積み上げがなければ進歩が乏しい根気のいる安全性研究のような分野を評価する価値観には欠けている。安全性研究の多くは、プロジェクト研究には馴染まない。そこではPlatform構築が大事である。そうした仕事は、インパクトファクターが高い雑誌に投稿するような報告にはなりにくい。

 例えば、米国も欧州も、毒性研究に関係したデータや知識の蓄積を怠っていないことである。例えば、先にも言及した米国のNIEHS(National Institute of Health Sciences)Chemical Effects in Biological Systems (CEBS, http://www.niehs.nih.gov/research/resources/databases/cebs/index.cfm)という、化合物の生体への影響を研究するための統合的なデータベースを構築している(Waters07)。こうしたデータベースや知識の統合をインターネットによって実現しようという試みもある(Richard06)。

 さらに、欧米で活発になっているのが、複数のアカデミアや製薬企業などが参加したConsortiumによるいわゆる医薬品開発の前臨床的な課題への取り組みである。このことについては、CBI学会の昨年(2010年)の大会に招聘したM. Barnes博士がEUの取り組みを紹介してくれている(Barnes09)が、2008年の大会に招聘したSean Ekins博士がやはり米国における事情を紹介しているが、その中でもADME/Toxは、すでに前競争的な課題としてEkins博士らによって、取り上げられている(Ekins10a, Ekins10b)。インターネット上に公開されている(Publicの)膨大なデータや知識の活用を念頭に置いて、複数のアカデミアや営利企業、その他の団体が、前競争的な課題に向けて共同作業する組織(Consortium、Research Collaboration)を結成することが、新しいR&Dモデルとして欧米では注目されている(Ekins11)。

 実は、私も2000年頃から、CBI学会を基盤とした、同じような発想による共同研究事業を、CBI Grand Challengeと呼んで、提案してきた。少なくとも、欧米では、いまやそうした構想は、現実化している。余談だが、BarnesさんもEkinsさんも、先の地震の直後に、心配して私の安否を気遣ってくれたメールを寄越してくださっている。Barnesさんは、こうした組織を結成するには、時間が掛かるし、信頼がおける仲間でなければ旨く行かないと話していたことが、記憶に残っている。これらの方々と知り合えたことは、好運だったと思う。その好運を、日本のこの分野の進展に結び付けられないかという、思いは現在でもある。

心しておかねばならないのは、こうした分野の研究者の養成には、時間がかかるということだ。したがって、仕組みをつくり、研究者の働ける場所をつくって、時間を掛けて課題に取り組まねばならない。いずれも、現在の科学、技術振興策の苦手とするところだろう。

6.8月26日の講演につて

以上を背景情報として、今回の講演会の個別の演題について、簡単な紹介をしておきたい。

まず、「計算毒性学への期待と現状: 医農薬/機能性化合物デザイン、化合物環境規制、実験動物代替法への展開」という少し長い演題の湯田浩太郎講師は、ADAPTというシステムでよく知られたPeter C. Jurs博士の下に留学された構造活性相関研究の専門家として、著名であり、豊橋技科大、富士通、環境研などで活躍され、退職された今は、ご自分の会社を起こされて、そうした技法の普及に努めておられる。今回は、計算毒性学の現状や、その普及の問題点など、具体的な事例で解説していただくことを期待している。

「薬物動態とmicroRNAの働き」の中島美紀講師は、CBI学会の2009年6月26日の、「生体防御の分子機構:薬物代謝酵素と核内受容体および類縁転写因子」と題する研究会を企画して下さり、自らも「薬物代謝酵素とmicroRNA制御」と題する講演をして下さった、金沢大学薬学部の横井 毅教授の研究室の准教授である。この時の講演会では、NIEHS (National Institute of Environmental Health Science)で、CARなど核内受容体の信号経路を詳しくしらべられておられる根岸正彦博士を特別講師として、薬物代謝に大きな影響を及ぼす核内受容体の役割を学ぶことが目的だった。

 CBI学会では2003年頃から、Metabolic Syndromeとの関係で核内受容体(Nuclear Receptors, NR)に注目し、定期的に講演会を開催しながら、2008年の大会を、海外からの研究者を招聘したNRとMetabolic Syndromeをテーマとする特別な(国際)会議として開催した。こうした動きに関心を持ってくださっていた横井教授は、2006年の仙台における日本薬学会年会で、核内受容体と薬物代謝酵素の関係を念頭においた、シンポジウムを設けてくださった(この大会では、PXRのリガンドがCYP3A4を誘導するという、Drug Designerにとっては、重要な発見をした(当時GSKの)Steven A. Kliewer博士も招聘されていた)。

 現在では、薬物代謝酵素の多くが転写因子である核内受容体と関係していることが、明らかになってきており、この経路は、Toxicityに関係した重要なPathwayとして、計算毒性学でも重要な研究課題になっている。それについては、例えば、以下の論文がある。

R. S. Judson et al., Estimating Toxicity-Related Biological Pathway Altering Doses for High-Throughput Chemical Risk Assessment, Chem. Res. Toxicol., 1824(4): 451-462, 2011.

Imran Shah et al., Using Nuclear Receptor Activity to Stratify Hepatocarcinogens, PLoS one, 6(2):e14584, 2011.

ところが、核内受容体の転写因子としての情報が蓄積されてきても、タンパク質の発現量との相関が認められない事例もあり、転写後の調節の関与と、その候補因子として、microRNAが注目されるようになってきた。中島講師の講演は、このことに関係しており、現在大変注目されている。最近ファルマシアに簡単な解説が出ているが、ここではmicroRNAが作用する標的遺伝子の予測が重要で、バイオインフォマティスの興味ある課題になっている。

中島美紀、薬物動態とmicroRNA, ファルマシア、47(2):141-145, 2011.

古川哲史講師(東京医科歯科大学難治疾患研究所)の、「ES細胞・iPS細胞を用いた薬物心毒性評価」は、今最も注目を集めているiPS細胞を、薬物の毒性評価に用いる研究についての紹介である。新薬開発で、必ず問題にされるのが、心電図にQT延長という異常な所見が見られる薬物誘発性不整脈である。これは心筋(hERG(ハーグ)、human ether-go-go-related gene)のイオンチャンネルの機序に関わる問題として、典型的な構造活性相関の典型的な問題でもあるが、同時にイオンチャンネルの構造の詳細にも関係しており、昨年の5月26日に開催された、「イオンチャネルの精密機能を構造から読み解く」と題するCBI学会講演会の中で、エーザイ株式会社の池森恵氏が、「化合物によるイオンチャネル阻害回避への取り組み」と題した、素晴らしい講演をされている。古川講師が最近出された解説論文では、性差の問題も取り上げられており、医薬品開発者には、聞き逃せない話題である。

古川哲史、QT延長毒性はなぜ女性で起こりやすいか?、ファリマシア、47(3): 208-212, 2011.

鹿庭(かにわ)なほ子講師(国立医薬品食品衛生研究所医薬安全科学部)の「予期せぬ重篤な副作用への対策:StevensーJohnson's 症候群を例として」は、いわゆる薬害の事例としてはよく知られたStevensーJohnson's 症候群に関する最新の研究成果に関係している。この副作用は、「どの薬で起きるのか、誰に起きるのか」が、釈然としない副作用として、社会的な関心の高い有害作用である。

私も、薬害患者の集まりに出席した時、この副作用で視力を失った幼い女の子が壇上に立ったのを見て、胸が痛んだ。患者は、米国で800人、我が国で300人ぐらいと推定されていた。私は当時、テレビの報道で、原因解明の手掛かりがないというナレーションを聞いて、SNPなどをしらべれば、絶対に分かる筈だ考え、CBI学会として、こうした問題に取り組めないか、また、薬害としても臨床医の協力を得られないか、当時の多田会長や医薬品の安全性問題に詳しい方に相談したことがあった。

私のささやかな試みは、格別の成果を上げられなかったが、その後、国の支援をえて、国立衛研の医薬品安全部でこの疾患の日本人固有の遺伝子マーカーの探索研究が始まった。鹿庭博士の話は、その最新の成果に関わるものである。この研究には、StevensーJohnson's 症候群だけでなく、類似の副作用、中毒性表皮壊死融解症(toxic epidermal necrolysis,TEN)も対象になっている。これらの成果の一部は、すでに下記の解説で紹介されているが、その後の進歩も含め、大変興味深い話題である。

鹿庭なほ子、スティーブンス・ジョンソン症候群/中毒性表皮壊死融解症と遺伝子多型、ファルマシア、43(11): 1075-1079, 2007.

なお、こうした副作用は、個人の特異性Idiosyncraticyによるとされ、一般に解明が難しい有害作用である。

J. Uetrecht, Idiosyncratic Drug Reactions: Current Understanding, Ann. Rev. Pharmacol. Toxicol.,47: 513-539, 2007.

三輪錠司講師(中部大学)による、「薬効(有益性)と毒性(有害性)の用量依存性のメカニズム」は、2つの点で毒性研究として、興味深い。その第1は、話される研究が線虫を用いたものであることである。この研究の発端は、調理したポテト、例えばポテトチップに中にも含まれている毒性成分と指摘され、一時は大きなニュースになったポリアクリルアミドの線虫への影響に関する仕事である。次は、そのわかりやすい解説である。

三輪錠司, 線虫に教わった「ホルメティク食品」のすすめ, 日本線虫学会にユース、No.50:1-4、2010. http://senchug.ac.affrc.go.jp/news/news50.pdf

実は、この話は、CBI学会としては、2008年2月4日(月)に開催された、「酸化ストレス応答転写因子Nrf2とPhase II 薬物代謝酵素」と題するCBI学会の第282回の研究講演会で、初めて取り上げた話題であるが、その時はまだ研究が途上であったこともあって(その時の講演者は、三輪研究室の長谷川 浩一氏(京都大学))、参加者にうまく重要性が伝えられなかったように思われる。その後の研究において、ポリアクリルアミドの線虫への影響は、毒性に特有の右肩上がり(S字曲線、Sigmoid Curve)ではなく、明らかに2相性(最初と最後にピークがある)を示すこと、この反応の経路は、SKN1(スキン・ワン)を介することが、明らかにされた。

SKN1は、ヒトNrf2の類似タンパク質である。転写因子であるNrf2は、酸化ストレス応答に関与し、Keap1/Nrf2-ARE経路の中核に位置している。この経路は、抗酸化に与っているから、抗加齢Anti-agingに関与しているとも考えられているし、抗がん剤開発の標的としても注目されている。それでは、なぜ応答は2相性になるかであるが、それは実際の講演に譲るとして、ここではこのことが毒性研究者の間で、認知され始めたHormesisの例であることを指摘しておきたい。また、この現象は、毒と薬が用量依存的であり、この経路を指標にして、いわゆる健康食品成分を簡便にスクリーニングできる可能性があることに、注意しておきたい。この意味では、健康食品、サプリメントなどの探索に興味をお持ちの研究者には、ぜひ講演を聞いていただきたい。

M. P. Mattson, Hormsis Defined, Aging Res. Rev., 7(1):1-7. 2007.
T. G. Son, S. Camandola, M. P. Mattson, Neruomolecular Medicine, 10(4): 236-246. 2008.

Nrf2は、いわゆる第2相の薬物代謝酵素群の誘導に関わる転写因子であるが、核内受容体と、AhR(Dioxinの生体内の標的分子)を加えると、処理系Processorとしての薬物代謝酵素群を誘導するセンサー系を構築していることになる。このSensor-Processor 系の存在はいまや、よく知られてきた。この系は、正常の代謝やMetabolic Syndromeとの関係が深く、寿命、抗酸化、がん化、がんの転移などの経路とのクロスートークも示唆されている。

最後の演者である、曽根秀子講師(国立環境研究所環境リスク研究センター)の演題は、「ES細胞系を用いた神経発生毒性試験法」である。この話は、今回の講演の枠組みが決まってから、申し込まれてきた演題だったため、最後の部分にお願いすることにした。その内容は、すでにいただいているので、このサイトに置くことで、関心のある方の参加を期待することにした。

7.おわりに

この小文は、来る8月26日に予定されているCBI学会の研究講演会の背景を説明し、一人でも多くの方に参加してもらうことを目的としている。お伝えしたいことを箇条書きにすると以下のようになる。

(1)毒性学は、医薬品開発とは異なる、化学物質の安全性に関わる領域が主であるが、医薬品の研究開発や適正使用や、健康食品開発などとも、密接に関係した研究領域である。

(2)ゲノム解読技術の普及により、Genome-Omics-Pathway/Network to Disease & Toxicityという研究の基軸が構築されてきたことで、上記の研究領域は、互いに深く関係するようになり、Toxicity Pathway研究は、基本的な生命研究のPathway研究や、疾患のPathway研究などと繋がるようになってきた。

(3)毒性学の分野でも、多くの研究技法を統合的に駆使すべき段階になり、学際的チーム研究が当たり前になり、そこに情報計算技法の専門家が加わることも自然なことになってきた。

(4)欧米では、前競争的、公開情報の活用、複数のアカデミアと企業の協力を前提としてConsortiumによる研究が、医薬品研究でも、毒性研究でも新しいR&Dモデルになってきている。

(5)欧米で国が先導して進めている新しい戦略的な行動計画を、日本はもっていない。

いま我が国で求められているのは、こうした現状を打破するInnovationである。このInnovationを推進するためには、研究や技術面に金を出すことよりは、まずもって、納税者や政治家や行政官の認識と価値観を変える必要がある。また、それにはマスメディアの役割も期待したいところだ。現実にこれらのことは、とても難しい。だからこそ、Innovationが必要なのだ。

私はこれまで、いろいろ提案してきたが、そういう提案Ideaが、あまり役に立たない(Idea is cheap!)ことを反省している。そこで、今は、Innovationを実際にどう進めたらよいかについては考えている。これについては、また、別の機会に話題として提供したい。(2011年7月27日、神沼二眞)


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